夕方からJunkoさんと六本木で
「
万華鏡の視覚:ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションより」をみた。
私たちが“当たり前”だと思っている身体感覚に疑問をなげかけるインスタレーションたち。
キーン コーン カーン
例えば講義の終わりを告げるチャイム。
チャイムの音は私たちを、“授業”から“こちら”に呼び戻す役割が在る。
ところが無数の電球を眺める時間を、止めてくれるものはない。
くるくると回っている“ようにみえる”光をみていると、間違いなく“あちら側“に行ってしまいそうな、危険な領域に踏み込んで、進めば進むほど帰り道を失ってしまいそうな、そんな怖さを感じる。
そして、有る一つの感覚を一方的に刺激され続けることで、理性を失って、ただ、信号を送られ続ける無気質な物体になったような気持ちになるのだ。
これは不思議。
漢字のテストで、一つの漢字をずっと眺めていると、正しいものも正しくないものに見えてくる感覚を、色んなスタイルで体験する。そんな感じ。kanji.com
一人でみてたら“こちら側“にもどって来られなかったかも!
“科学的”なアート体験ができるエキシビジョンだった。
ま、「あっちの世界にぶっとぶ!」とか「新たな感覚の力に気づくね!」とか言っておきながら、専らJunkoさんと私のお気に入りは、サラ・ルーカス氏の「
打ち負かされたうさぎちゃん」だった。
オフィスチェアに詰め物をしたストッキングがかぶせられて、まるで弛緩剤を打たれたウサギのように見える(すごくフェミニンだったけど)作品。
経済社会における男性優位への反抗と、敗北を認める切なさをじわじわ伝えるうさぎちゃん。
ストッキングから、キュンとする愛しさを感じるなんて、滅多にないと思う。うける。
全く関係ないけれど、MOR EMPORIUMのライチフラワーの香りが最強だ。
ペコリーヌのお誕生日プレゼント用にキャンドルを買ったのだけど、あれはご自宅用にも欲しい。
あと、ミュージアムストアで山口晃氏の塗り絵が売られていて冗談かと思った。
自分じゃ全然やる気にならないけど、嫌われること覚悟でいつか誰かにプレゼントしたい。
しかしご自宅用は本物が欲しいよう。(最近のお気に入りアーティストである)
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