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name : me what?
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運命で、生きてる人。
Traveled
インドネシア・台湾・韓国・中国(上海)・フランス・フィンランド・エストニア・マルタ共和国・アメリカ(ワシントン(シアトル,タコマ),オレゴン,カリフォルニア,NYC,ボストン,ハワイ×2)
The cat



name : ニコラス
love :変装と料理

「ウオノメにタタリメ!」
Movie
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 ◆実は三十三間堂に行ったことがなかったので初めて行く。

「1000体も観音様がいるでしょ。だから絶対1体は自分と似た顔があるのよ。」

って、中学校の先生が言っていたけど、
私はどれにも似ていると思った。

1体どころじゃないです、先生。



◆私って観音顔!と調子にのりつつ、国立博物館へ行く。


「シルクロード文字を巡って ーロシア探検隊収集の文物ー」をみる。
005_m.jpg

字が読めないのでなんともいえない。


梵字が読めたらかっこいい。

探検隊ならもっとかっこいい。

なんだ、「探検隊」って職業!

ロマン!!

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 ◆昨日みたやなぎみわのインスタレーションが超よかったので、個展も行くことにした。

「京阪乗るひと、おけいはん」!

電車なのに新幹線座りで無駄に戸惑う京阪電車に乗って、
BGMはGAGAとBEPでのりのりにBoom!と大阪にひとっとび。

◆やなぎみわ個展「婆々娘々!」@NMAO

→マイ・グランドマザーズシリーズも、フェアリーテールシリーズも新作のオッパイびろーん!もみれちゃううはうはなエキシビジョン。

◇まずはマイグランマ。
このシリーズは一般公募した若い女性の50年後の自分のイメージをフィルターにおさめたもの。
3257568262_c16ac51b5c.jpg
リアルなのにとっても「寓話」的でおもしろかった。
私の50年後はね、スーパー婆々。
むしろもう魔女だな。その頃までにはリアル妖精のお使いを駆使しちゃってるの。
詳細は秘密だぜ!

◇次!フェアリーテール。
00058.jpg
テント人間がみせてくれるフェアリーテールは、文字でも言葉でもないのに
1枚で色んなことが伝わってくるのだ!
毎日寝る前に眺めたい作品。

でもじつはテント人間が私は一番すき。
 

◇最後はwindswept womenシリーズ。
c03299bc.jpeg
もうとにかくね、作品が、デカい。
ドーーーン!と4枚の大きな写真。迫力、まんてん。
テントを覗くと映像作品が流れるインスタレーションもあったんだけど、 そっちのが好きだったな。
やなぎさんは写真もいいけど、映像がすごいいい。

そして、ご本人がすごく、可愛らしくて素敵。




◆「ルーヴル美術館展 美の宮殿の子どもたち」もついでにちらっと見たんだけど、
「絵見るってレヴェルじゃねえぞ!」な人の入り様で、ほんとに「ちらっと」しか見られなかった。


お盆だしね!

ふらりとMOMAKに行く。
学生証を出したら、キャンパスメンバーとやらで、250円で入れた。安っ



◆「生誕120年 野島康三展—ある写真家が見た日本近代—」をみる。
designProposal375B3.jpg
→野島さんの出身地は地元だった。

いいポートレートとは、被写体が何を考えているかわからない表情をしているものじゃないかしら。
「マックのポテトを食べているときになる「無」の状態」に陥っている人を撮ったら、きっといいポートレートになるだろう。


◆つづいて「無声時代ソビエト映画ポスター展」。

→「らい病の女」と「名誉を売る商人たち」がよかった。
つまりはピョートル・ジューコフが好きということだ。

ステンベルク兄弟がいっぱいあった。
「~兄弟」っていいなあ。ライト兄弟。カラマーゾフの兄弟。


◆コレクションはやなぎみわの「Fortunetelling」がよかったなあ。
無垢な老女と無慈悲な少女!
p14.jpg
◆向いの建物だし、せっかくだからとルーヴル美術館展も行こうと思ったんだけど、
東京うまいラーメン屋100選1位の店!の前みたいなことになったのでやめた。


今日は昨日より蒸し暑い。
 ◆ママ君と共に、「忘れえぬロシア」@bunkamuraをみてきた。
上品な金のレースがあしらわれたフライヤーが素敵だったのでちょっと惹かれていたら、
なんとまあこの度、月額300円のアート情報サイトの懸賞でチケットが当たったのだ。(してやったり!)



◆ロシア絵画はよく知らなくって、ロシアといったら縁取り過剰なザ・前衛ポスター!みたいなのしか浮かばなかったので、高貴で繊細なロシアの印象派絵画は意外だった。
優等生な感じが私は好きだ。

ママ君はツルゲーネフの肖像画をえらく気に入っていた。




top_pic1.jpgそういえば、この美術展のアイコンになっている、イワン・クラムスコイの「忘れえぬ女」は、実は原題は「見知らぬ女」だったそうだ。

確かに「忘れえぬ女」の方がドラマチックな名前だけれど、「忘れえぬ」と「見知らぬ」じゃ、結構文脈が変わると思う。

欧米では「Portrait of a Woman」と呼ばれているらしいから、「忘れえぬ」のほうがよっぽどいいけど、彼女も不本意だろうにの。




なんだか可哀想なので、今回特別に、私の中の「ショーゲキ!大胆な訳ランキング」の50位入賞を贈呈することにした。


ちなみに上位には、
ビートルズの「A Hard Days Night」(邦題「ビートルズがやってきたヤァ!ヤァ!ヤァ!」)とか、
ディズニードラマの「That's so Raven」(邦題「レイブン見えちゃってチョー大変!」)とかがエントリーしている。

結構名誉なことだと思んですが、どうでしょう、 マダム。

夕方からJunkoさんと六本木で 
万華鏡の視覚:ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションより」をみた。

私たちが“当たり前”だと思っている身体感覚に疑問をなげかけるインスタレーションたち。
キーン コーン カーン
例えば講義の終わりを告げるチャイム。
チャイムの音は私たちを、“授業”から“こちら”に呼び戻す役割が在る。

ところが無数の電球を眺める時間を、止めてくれるものはない。
くるくると回っている“ようにみえる”光をみていると、間違いなく“あちら側“に行ってしまいそうな、危険な領域に踏み込んで、進めば進むほど帰り道を失ってしまいそうな、そんな怖さを感じる。
そして、有る一つの感覚を一方的に刺激され続けることで、理性を失って、ただ、信号を送られ続ける無気質な物体になったような気持ちになるのだ。
これは不思議。

漢字のテストで、一つの漢字をずっと眺めていると、正しいものも正しくないものに見えてくる感覚を、色んなスタイルで体験する。そんな感じ。kanji.com


一人でみてたら“こちら側“にもどって来られなかったかも! 

“科学的”なアート体験ができるエキシビジョンだった。




ま、「あっちの世界にぶっとぶ!」とか「新たな感覚の力に気づくね!」とか言っておきながら、専らJunkoさんと私のお気に入りは、サラ・ルーカス氏の「打ち負かされたうさぎちゃん」だった。
オフィスチェアに詰め物をしたストッキングがかぶせられて、まるで弛緩剤を打たれたウサギのように見える(すごくフェミニンだったけど)作品。
経済社会における男性優位への反抗と、敗北を認める切なさをじわじわ伝えるうさぎちゃん。
ストッキングから、キュンとする愛しさを感じるなんて、滅多にないと思う。うける。








全く関係ないけれど、MOR EMPORIUMのライチフラワーの香りが最強だ。
ペコリーヌのお誕生日プレゼント用にキャンドルを買ったのだけど、あれはご自宅用にも欲しい。

あと、ミュージアムストアで山口晃氏の塗り絵が売られていて冗談かと思った。
自分じゃ全然やる気にならないけど、嫌われること覚悟でいつか誰かにプレゼントしたい。
しかしご自宅用は本物が欲しいよう。(最近のお気に入りアーティストである)
が、がまんできずに初日に行っちゃった・・・!

neoteny japan 高橋コレクション」@上野の森美術館
“日本屈指の現代美術のコレクターとして知られる精神科医・高橋龍太郎氏が収集した作品により、世界から注目を集める1990年以降の日本の現代美術の流れと動向をたどる”エキシビジョン。

◆今の日本アート界を牽引するアーティストの作品がざっくざく!
だったら混んでるよなーと、びくびくしながら行ってみたら、あらびっくり!がっらがらだった。
うれしいやら、かなしいやら。
平日の同じ場所でピカソ展やってたときは、1時間も外で待ったのに。

やっぱり、日本国民の、同時代のアートへの意識水準は、まだ低い。




◆今日は、「やっぱり、アートは生で観なきゃだめだ!」と、改めて強くおもった。
キャンバスの繊維が分かるまでちかよってみたり、とおーくから眺めてみたり。
写真集で見るのとは、ぜんぜん、ちがう。

高橋さんのコレクションは、ほんとうに素晴らしいのだけど、
なにが素晴らしいって、どの作品も「生々しい」のだ。
「生々しい」作品を「生」で見ると、ズギューン!ってなる。
マグロの刺身の美味しさに気づいた(あれは19の冬だった)時と、同じ衝撃。

生々しいコレクションなのは、やっぱりお医者様だから?

「現代美術だから」かな、とも思ったけれど、西洋の現代美術のアーティストの作品とはレアのレベルがなんかちがう。現代美術じゃ、くくれない。

中国のアーティストとは、ちょっと似てるかも。



あ、これがアジアの「ネオテニー」か!


すごく、レア(生)で、センチメンタル。
キャンバス切ったら血が出てきそうなかんじ。



◆趣味が良すぎて一番なんて、選べないけど、すごく印象的だった作品↓

go_743_02.jpg
 加藤美佳
「パンジーズ」2001

無垢なのに、エロくて、
視点が定まってないのに,強い意志が感じられて、
繊細なのに重くて、
少女なのに少女以上で、
彼女は一体何者?

クモの巣にひっかかったみたいに、
目が離せない作品だった


つやっつやの唇に恋をする!






◆「ウーパールーパー」がサンショウウオになるって、実は、しらなかった。

LUXといい、ブランドイメージアップにブランド自らショートフィルムを制作するのが巷では流行ってるのでせうか。

今日から公開のLady Diorのショートフィルム。
ご丁寧にメールでお知らせが来たので早速チェケラ!

クラシカルな演出とカラートーンがすてき。
マリオン・コティヤールがやたら可愛い!


『The Lady Noire Affair』監督:オリヴィエ・ダアン

面白いか否かはまだよく分からん・・・。
それよりヒールの高さが気になってストーリーどころじゃないのは私だけ・・・?



ファッション系のハイブランドは、別に自社制作せんでも、衣装協力で充分効果あるじゃん!と思うけど。どうなんでしょ。Lady Diorゴリ押しキャンペーンなのはなぜなのかしらん。


個人的にはDior好き(特にジヅラが)だけれど、今一番気になる子ちゃんは、オドレイ・トトゥ主演の『ココ・アヴァン・シャネル』だったりする。ココ様の生き様拝見。

9月はシャネルぼろ儲けの予感。

◆京都四条・たち吉本店〈へうげもの展 at TACHIKICHI〉に行く。

モーニング掲載の『へうげもの』のコラボ展。
古田織部氏が要所要所にいるディスプレイがユニーク。

お店に行く時は迷子必須の裏具とたち吉とのコラボ、蕨と蝙蝠の酒器を買う。






李政錫氏のブローチ買った父がいちばんへうげもの!わたしはつけないからね!
ファッションファッションファッソン!
文化社会学ッ子にはたまらない。こうばしすぎるエキジビジョン。
MOMAK

◆まずは特別展◆
ラグジュアリー:ファッションの欲望

(c)MOMAK

“17 世紀から現代までのファッションをラグジュアリーという視点で切り取りながら、ラグジュアリーとファッションが時代や社会の中でどのようなかかわりを持ってきたかを考察し、今後の新たな方向を探る”。

エリザベス1世に贈られたという金刺繍のボディスを最初にみて、
中世貴族たちの贅を尽くしたドレスの間を歩いていると、
「そうそう、これがラグジュアリー!」と思うんだけど、
素材へのこだわり、シルエットのこだわりをとことん追求したシャネルやヴィオネやその他もろもろのデザイナーによるお洋服をみると、
「これもラグジュアリー!」ってなって、
さらに進んでギャルソンでおなじみ川久保玲氏のハイセンスな世界をみると、
「そういえばこれも実はラグジュアリー・・・」
と、前々から抱いていた「ラグジュアリー」という言葉に対する自分の概念が疑わしくなった。

一般的に「ラグジュアリー」ってのは、「ゴージャス」とか「洗練」とか「上品」とかいう言葉と従兄弟ぐらいの関係にありそうだよねえ。

一番最後に、「一点もの」≒「ラグジュアリー」という考察を、マルタン・マンジェラのアーティザナルを用いて示されるんだけれど、
おかれる文脈によって、価値が変化する というのは、なるほどねえと思った。



しかしいちばん印象深かったのは、ココ・シャネル語録。




「“贅沢”の反対は、“貧乏”ではなく、








“下品”」



!!!!!!!

間違いなく、ラグジュアリーの申し子じゃ。



◆合わせて読むとより一層グッとくる
→『東京・パリ・ニューヨーク ファッション都市論 』
  南谷 えり子 , 井伊 あかり 著/平凡社新書/2004
→鷲田清一さまさまさまの本

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◆次に特別展とリンクした企画展◆
「都築響一 着倒れ方丈記」

都築響一《着倒れ方丈記 アナ スイ》2001/2009 (c)the artist

一途にお気に入りブランドの服をコレクトする「着倒れ人」たちが、四角に切り取られて、プロフィールを添えられて展示される。



何より「着倒れ人」が案外「普通の人」なのが面白かった。

「着倒れ人」は、中毒者、狂愛者、というより、現代のブランド志向が濃くでちゃった人なんじゃないかと思う。

みんな、お気に入りのブランド、あるじゃん。

でもきっと、「着倒れ人」は「ポリシー」を大切にしているから、
みんなが見栄えなくあっちもこっちも色んなブランドを買っちゃうことに、
嫌悪を感じるんだろうなあ。
もしくは周りには無関心で、自分 対 ブランド の世界に生きているのかなあ。

「着倒れ人」が「着倒れ」ちゃったコンテキストを考察するのが、とってもわくわくする作業であることに気づく。



もうね、卒論のテーマにしてしまいたいぐらいのヒットだった。

てゆーか実は都築サンて、OBなの、知らなかったぞよよよ。



合わせて読むとより一層グッとくる
→『豊かさの精神病理』大平 健 著/岩波新書/1990
◆Airan Kang(姜愛蘭)
“古今東西の本をオブジェ化した”Lighting Book(光る本)”を用い時空を越えた崇高な場を創り出す"Digital Book Project"で知られる韓国を代表するアーティスト”

◆室内に足を踏み入れると、薄暗い空間にピカピカ光る本が置いてあって、
背表紙に触れると本から朗読する声が聞こえたり、
本のイメージが大きなスクリーンに映し出されたりする。

「人々の知的好奇心に働きかける作品。」と、オーナーさんが説明してくれた。


本から聞こえてくる「内容」は、
なんだか著者と時空を超えて繋がっている気にさせる。
でも、本の中に入ったようで、入ってなくて、
ただ私は本を見つめるだけだった気もする。

◆私の家には数えきれない本がある。
一時、本で家が埋め尽くされて、レンタルロッカーでも間に合わず、
本で家が占拠されるという限界を迎えたこともあるほどだ。
私は本とともに生活しているくせに、家にある本をすべて読んだことがない。
恐らく一生かかっても、全部の本は読めないし、読まないだろう。
家にある本すらすべて読めない。のに。

この世にはどれだけ本があるのだろう。

本との出会いは、人とのそれに少し、似ている。

暗闇に浮かぶ、自ら光をまとって、自己主張をする本は、世界中の本のなかの「一冊」であり、「世界中の本」であったのではないだろうか。


◆本と人の新しいインタラクション?もしくは「関係」が提示されて、
本の可能性と、本が孕む色んな意味を見直す機会を得られる作品だった。


図書館にあったら素敵!かもにゃ。

「鏡−ユートピアとヘテロピアの間」
eN arts
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