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me



name : me what?
sex :F

運命で、生きてる人。
Traveled
インドネシア・台湾・韓国・中国(上海)・フランス・フィンランド・エストニア・マルタ共和国・アメリカ(ワシントン(シアトル,タコマ),オレゴン,カリフォルニア,NYC,ボストン,ハワイ×2)
The cat



name : ニコラス
love :変装と料理

「ウオノメにタタリメ!」
Movie
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「家猫と野良猫は、どっちが幸せなんだろう。」
というテロップが頭をよぎる。時間は午後の授業に入ったころだ。それは先日の発表会での作品の中で、一年生の女の子たちが投げかけた疑問である。
私は猫の絵を、仮の時間割を書いた紙の裏に描く。それに矢印で「かわいすぎる」と付け足して、隣に座るアサミに見せると、彼女は肩を震わせた。くだらない筆談をくりかえし、幾度も噴出しそうになる。
前ではくたびれた背広を着た先生が、授業計画やら統計の変数やらの話をしているが、知った話しに耳を傾ける気は微塵もなく、一匹また一匹と、猫は増える。そういえばミャンマーの外相の名前はニャンって言ったっけ。「武力行使」なんて言葉は到底出てきそうもない名前なのにね。にゃん


幸せ っていうのは、どうゆうふうに分かるんだろう。

家から駅に向かう途中に、古い古い、裁縫道具屋さんがある。そこは昔からおじいさんが一人で切り盛りしていて、あと、彼は猫好きなのか、店の中外にはいつも猫が2,3匹いる。店のなかは刺繍糸、ミシン針、ボタン、毛糸なんかがダンボールのまま山積みになっていて、ドンキホーテなんてレヴェルではないほど雑然としている。外にはおじいさんが縫ったと思われる、女物の服や布鞄なんかが並べられているが、私は彼の店に人が入ってそれを買っているところを見たことがない。それでも彼は朝の9時を回る頃には店のシャッターを上げ、猫とともに、店の外においたキャンプ用の折りたたみいすの上に腰掛けて新聞を広げるのだ。
今朝、私はハワイで買ったおろしたてのショートパンツの短さに若干の後悔を覚えつつ、駅までの道のりを歩いている途中、おじいさんの姿を横目に止めて、彼は幸せなのだろうかという問いに苛まれた。たぶんそれは、彼は幸せではないという考察がどこかに隠れていたからだろう。

3限のひどく詰まらない授業を終えたあと、2号館の前のベンチで数人の友達とだべる。
味つきヴォルヴィックのボトルは、冷たい外気にかかわらず、すぐに汗をながして私の掌を濡らした。想像もしなかった、なんだか悩ましげな恋愛事情をもちだされて戸惑ってしまう。話の彼女は幸せなのかと、またとり止めもなく思ってしまう。
そんな時に、サークルの友達を見つけて声をかければ、1ヶ月ぶりに見た彼女はとてもいい顔をしている。どうしたのと問いただせば、どうやら彼氏ができたらしい。うれしそうに彼の写真を見せてくれた。そんな彼女は、きっと今すごく幸せなんじゃないかと思って根本的なことに気がついた。

幸せが不幸せであるかなんて、本人がきめることじゃないか。

おじいさんは猫と一緒に一日を過ごし、婦人服を縫うことにこれ以上ない至福を感じているかもしれないし、
不器用な恋愛もそれはそれでいい気持ちなのかもしれないし、
幸せ真っ只中でも不安が隣り合わせでずっと楽しい気持ちでいるわけでもないだろう。
そもそも幸せなんて、自分でもよくわからない。
よく、わからないなあ。
それでもどうしようもない、自分以外の人に対する心配と不安は熱せられた雲みたいに体積を増やしていくから、私の愚かなものさしで無意識にそれを計ってしまう癖。

久しぶりに何の気負いもなく、一人で服が選べたことと、
優柔不断な試着に付き合ってくれた優しい店員さんの存在に、
それが自分の幸せだと思った私は安易かな。


これからは「ハッピー」を乱用すべしー。

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